平成最後の夏 甲子園取材を終えて
コラム

全てが願った通りにはならなかったですが、自分が昔からやりたかったことが一つ実現した。
それが、夏の風物詩である夏の甲子園の取材。
ずっと昔、熱闘甲子園の元キャスターである長島三奈さんの書籍を読んで、いまもなおその本をにぎりしめて記事を書いた。
小さな一歩ですが、3つ記事が書けたことは進歩だった。
https://dot.asahi.com/wa/2018081400083.html
https://dot.asahi.com/wa/2018081500081.html
https://dot.asahi.com/wa/2018081700017.html
100回目の夏の甲子園で、初めて甲子園の取材に行き、自分なりに考え、インタビューした。
とても難しかった。ロッカルームで選手たちが泣いていた、笑っていた、うなだれていた、肩を叩き合っていた。
チームによって、そして試合結果によって、その時々の表情が変わっていた。
アルプス席では、全員が同じ場所に視線を注ぎ、手を握りしめ、本気で応援していた。選手だけでなく、彼ら、彼女らも間違いなく主役だった。
たくさんの思いが交錯し、涙し、全員の思いが託されていた。
「ああ、僕もこの場に立ちたい」
何度もそう思ったけれど、それは叶わない。
どうも気が引けてしまうこともあった。
試合に負けて泣いているところを直撃する。メディアの人が一斉に群がる。
しかし、何度、涙をこらえたことか。
みんなが楽しそうに応援して楽しそうに声を出している。
「がんばれー。がんばれー。」
スタンドは、それしか言えないのだ。
その思いを背負って。選手たちはギリギリのところでやっていた。
がんばれ、がんばれ。選手たちには聞こえるはずのないその声は、私の胸に刺さりまくっていた。
改めて、良い夏だった。
ありがとう。100回目の夏。
編集部の皆様、ありがとう。
選手の皆、ありがとう。
私たちは、甲子園のように、人生をかけて、熱くなれることはできるのだろうか。
考えれば考えるほど、この青春に関わりたくて仕方がなくて、でも主役にはなれなくて、悔しい。
「高校野球」
昔は純粋に楽しんでいたのだが、年をとると、どうも違うことを考えてしまう。
自分の仕事のこと、昔のこと、どんどん想像が広がって来る。
アイディアのイノベーションプレイスだ。
背番号をつけていない選手たちがスタンドで応援している。
相手チームとの対戦もそうだが、チーム内での競争ももちろんある。
そして、全て同じ人は一人としてない。
「格差」は間違いなく存在する。そしてその格差はまた美しい。
どうも私は負けたチームに新鮮がいってしまう。
人生は敗戦から始まる。
失敗から学ぶ。這い上がれ。負けたことは尊い。
そもそも挑戦していなければ、はじまらない。
多くの人たちの支えによって、高校野球は成り立つ。
それに気がつくのも、だいたい引退してからだ。それでいい。
そうして大人になっていくのだろう。
そそれぞれが輝ける舞台に向かって、また努力していくのだろう。