田中将介

-tanaka masayuki-

ジャーナリズムの役割

コラム

あの1人の子供と、女の子。
わたしはそのりふじんとたたかいたい。
世間では企業を大きくすることを賞賛されている。確かに結果は大事だ。だけどわたしはあの子のことを絶対に忘れない。絶対に悲しい思いをする人を減らしたい。
怒りからくるその想いを思い切り筆に込めたい。それで世界なんて救えるのか。救える。救うんだと。それを証明する。
確かに、ビジネスをしたい、と思うこともあった。
目の前の一人より、稼いで、もっと大きなことをしたほうがいいのでは。
むしろ、そっちの世界も楽しい。きらきらしていて。
ただふとしたときに自分に問う。
僕は、あの目の前でみた、女の子たちを見て、呆然としていたじゃないか。
あのときの心の動きは今でも覚えている。
あの女性たちと、同じ時間を過ごして、幸せな気持ちをいっぱいもらって。
やっぱりそれが楽しい。好き。幸せ。
と思う。
だから、「現場だ!!」みたいな意識もない。
だれかに「現場にいけ!!」と強要するつもりもない。
一次情報にあたれ!!とかは少しは思うけれど、
そこに怒りの感情をぶつけたって仕方ないし、
なにより自分が楽しいからいく。
確かに、その自分の情報は、簡単取れると思われたり、
そのとってきた一次情報をいとも簡単に情報として使われたり、
「これは俺の情報だ」という姿をもし目にしてしまったら、そこは僕だって人間だから、きっとイヤな気分になるだろうけれど。
そこに嫉妬しているんだったら、やっぱりその1次情報を掴みたいし、一緒の時間を過ごしたい。
だから、よくカンボジアに自費でしょっちゅういくね、とか言われるが、
そこに抵抗など全くないのだ。
アジェンダ・セッティングをすることが、ジャーナリズムの役割なのだ。
これは政治と同じだ。
「こういう問題があるんだよ」と世の中に提起する。カタチとしてある問題を見せる。
それは簡単には広がることはないだろう。
しかし、広めることこそが社会を動かすことになるのだ。
だから面白い。それを政治家が決める。
今深刻なんだぞ、知らなければいけない問題なんだぞ、これができる。

私にはコンプレックスがなかった。

孤独などなかった。

そのジャーナリスト、カメラマン、たちが取材したそのコンテンツはいつも私を孤独へと連れていってくれた。

常に誰かと楽しく、決まった人間たちと、最高に楽しい時間だった。若い頃は、そんなことしないで自分の人生について真剣に考えないと、など思うはずもなく、いかに野球の練習を憂鬱に、過ごしていた。

いじめられたこともなければ、不登校になったこともない。怒られることはあるけれども別にそのあと関わらなければいい話だ。

人の顔を伺いながら、うまくやる、最低の人間だった。自分の信念も特になかったからこそ、カメレオンのように、生きていたんだと思う。

 

それが、私を違う世界へと連れていってくれるのが、海外の写真や映像、そしてさらにいえばありありと生命を考えさせてくれる、自分の生きていることを考えさせてくれるものだった。

さらに衝撃な体験は、やはり自分で足を運ぶことだった。

これほどまでに夢中になることはなかった。今を生きている実感だった。

誰の顔も伺うことなく。

「ジャーナリズムは世界を救う?何をアホな事言ってるんだ」
そう言われるし、そう思う。そんなに簡単に救えたら世界なんてすぐに変わる。
ジャーナリズム論を語りたいわけではない。
実際に手や足を動かすことこそ、重要なのだ。
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