2018年 新年のご挨拶
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あけましておめでとうございます。
2018年は、1日1ブログを続けようと思った矢先、早速1月1日に更新できませんでした。これもご愛嬌。
去年の1月、僕は今年と同じように、タリーズコーヒーにいたと思います。とにかく何になるかもわからない、カンボジア関連の資料をただひたすら、英訳していました。まだ形になっていませんが、なんとか形にしなければ、といろいろな方にお願いをして、奮闘しています。この1年はなんとか形にしたい・・・。
僕は、毎年、兵庫の祖母の家に帰省するようにしています。去年は、確か、マンガを読んで、発信を頑張ろうと決意していたような・・・。
それができたか、定かではありませんが、少なくとも、自分の内なる発信ではなく、インタビュー取材を中心に、いろんなジャンルの記事がかけたのではないかと思います。様々な発信場所を経て、こうして今があることに、皆様には本当に頭が上がりません。
今年はというと、嬉しい悲鳴ではありますが、朝日系の媒体に掲載する予定の記事とひたすら、いやいや?格闘していました。もう考えられない・・・見たくない・・・そんな状況でもやっぱり嬉しいチャンスなわけで、とにかく少しずつ、少しずつ、胃をキリキリさせながら、取り組み、2日のお昼過ぎ、ようやく編集長に再送致しました。果たして再度の書き直しはあるのでしょうか・・・。その他にも、いくつかの原稿の文字起こしやらをこの年末年始であげまして、なんと贅沢な苦しみなんだろうか、と2つの意味で涙が出そうになりながら、取り組んでいます。
昨年は、本当に苦しい1年でした。いや、毎年苦しい1年なのですが、相手がいる仕事である以上、常に頭を下げて、何者でもない自分をひたすら晒し続けるという・・・。とにかくお金がなくなっていって、自分は何をしているんだろうか、と引きこもり続け、自分を否定し続け、社会に必要とされていないんだなあ。とばかり思う毎日でした。
そんな日が続いたからこそ、思い切った行動や、心のこもった作業ができたのではないかと思っています。今年は、こういったものを「作品」と呼んで、自分がアーティストのような気分で過ごしていました。
こんな日々だったのに、今思うと、あの当時、自分は毎日何をして、何を考えていたんだろう。と、毎度のことながら、思ってしまいました。人に見せるために書くものを書いてきましたが、自分の日記をつけるのもやはり必要だなあと、年末になると毎年思うわけであります。立派なことは書けないし、人に役に立つことを書けないけれど、それでも、ブログとして、日記として残し続けることに意味があるんじゃないかなあと思います。そして、時に、必要な役に立ちそうなブログが書けたらいいなと思うわけでございまして、今年は頑張って書くぞ!と決意したわけであります。それがこの有様・・・(笑)
1つ、とても驚いたことがあります。なぜか今回の兵庫帰省で、はっきりと分かるレベルでニキビがなくなったのです。なぜ?日頃から意外にストレスを抱えていたのでしょうか。うん、確かに抱えているという心あたりは非常にある・・・(笑)
常に誰かに見られてるような背筋をぴんとした生き方がつながっているのかなあとも思います。
2017年をがっつり振り返りたいと思うのですが、ようやく今日、原稿が終わったということで、なんだか、ゆっくり読書をしたい気分なのです。しかしそこをぐっとこらえて、昨日、今日のことを気楽に書けばいいんじゃないか?
ということで自分に言い聞かせると、意外とパソコンを打つ手が進みます。
今回の滞在は4日間。30日に、まさかの新幹線通路内立ちで大阪まで。予想外でした。ほぼタリーズに通いつめ、明日3日に新幹線で帰ります。帰りこそ、座って帰りたい・・・。
明日、新幹線の中で2017年の振り返りでもしようかなと思っている次第です。
25歳になりました。もう言い訳がききません。若者というくくりの最後になる歳な気がします。今しかできないことをやる。思考よりも行動を。これまでと同じようにやっていれば、道は開ける気がしています。
年の終盤になって一気にチャンスが増えました。メリットとデメリットが存在しています。メリットは言わずもがな仕事があるということ。デメリットは、人間関係、恩が有る人を裏切れない、つまり、しがらみの世界に入り込み、身動きが取れなくなってしまうということです。少なからず、僕は今それを抱えています。おそらく、終わってみれば、そんなに大したことなかったじゃん。となるようなことかもしれませんし、そうならないかもしれません。だからこそ、一つ一つ丁寧に、慎重に、それでも、慮りすぎないように、頑張っていけたらと思います。
明日から東京の日々がスタートします。日々流されていかないようにしなくては・・・。そのためにはどうしたらいいのかな。