韓国・平昌五輪を取材してみて
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平昌に行くと決めたのは、確か1月後半〜2月前半だった気がする。
オリンピックが始まったのは、2月9日だから、本当に直前。
それでも安い航空券とあまり安くない宿泊ができた。
詳しくはこちらの記事で。
ホテルが高いので心配をしていたが、許容範囲であった。
今のところ、アップした記事は3つほどであるが、コメント欄があまりにひどい。
ある程度はスルーしているのだが、やっぱり笑えてくるのは、
売春婦しかいないだろ、とか、朝日なのにこの記事って相当オリンピックやばいんだな、とかいうコメント。
事実と全く違うことをたくさんかかれていて、呆れた。
何がいいたいかというと、僕はあくまでフリーランスであって、
会社のお金で行ったわけではないということ。
だから、なんでこんな宿泊まるんだ?とか、会社から金出てるんだから、捏造記事だろとか、そういった類のコメントはお話にならない。
自費で全て自分で責任もって取材をしてくる。
この決断をできたのが我ながらあっぱれだった。
西野さんのインタビューでも、本でも、たくさん出てくるのだが、
お金を先にもらう必要などなく、あとからついてくるものであるということ。
会社からお金が出ないから行かない、とか、会社が担当にしてくれない、とか、
もし自分がサラリーマンなら言いそうだ。
でもそうじゃなくて、まずは自腹を切って、現場にいく。
それを伝えたら、
「うちで書いて!」と言ってくれる優しい人がいた。
こうして、今回、雑誌とネットに記事を寄せることができた。
確かに、ブログ記事のようなものかもしれないが、
選手の結果だけではなくて、周辺のありのままの平昌周りを伝えることも必要なことと思う。選手の結果なんて、1つのメディアが報じればいいのだから。
こうしてみると、改めて、まず自分が行って、実績の残してから、というのが先決で、
少しは信用が高まったかな?なんて思う。
その分、いっぱいミスもしたし、いっぱいだめだめで、もしかしたら信用落としているかもしれないけれど、それは仕方ない。やってみた結果だから。
正直言って、プレスパスがないから、本当に、本当に、大変だった。
どこにも入れないし。
でも、他の記者の人もそうだといっていた。
プレスの枠が決まっているからだ。それでもチケットをとって、周辺を取材して、
意味のあることを伝えている記者もいる。あんなに寒くて、つらくて、死にたいと思うのに、それでも深夜まで取材をして、トップ記事になってかなり読まれていたのだと思う。知人の高野さんの記事。本当に尊敬する。
ああ、そういえば、僕も、テレビ局のようにチームプレイではないし、全て自分で手配しないといけない。もちろん車もないし、どこから入場したらいいのかもわからない。
別に会場だけに行く必要もないし。
ということで、全く決まっていないルートだったため、泣きたくなった。
もう歩けない・・・。もう帰りたい・・・。そんな気持ちになることがしょっちゅうであった。ここはどこ?こんなとこにきた記者なんていないよな・・・。
とか。
テレビ局のアナウンサーとかは、別に批判するわけじゃないけど、
絵だけとれればいいから、ちょっと出てきて「いま、◯◯が◯◯になっています」っていうことだけを伝えればそれでいい。
そんなの、誰でもできそう・・・。ごめんなさい。
真実に近づくことはできないんだ。と、上辺だけのメディアを見ていると思う。
当事者を追いかけまわすにも限界がある。
だから取材しやすい市民を追いかけ回すしかない。
総括すると、相当疲れた。疲れたしか出てこない。
絶望と愚痴しか出てこない。
「寒い」「チケットが高い」「対応が悪い」
冬季五輪の厳しさを痛感した。
二箇所の会場の場所も相当離れていたし。
だけど、こんな愚痴ばっかり言っていても仕方ない。
皆、それぞれ葛藤を抱えて、あーだこーだ言いたい中、それぞれが頑張っている。
それを認めあえたらと思っているから。
ざっと振り返ってみよう。
7日の夜に到着。空港に泊まって翌日早速平昌入り。正確に言えば、もう一つの会場がある、江陵入り。宿をそこにとっていたため。
宿につくと、誰もスタッフがいないため、荷物を置いて、早速オリンピック会場まで向かう。なぜだか、歩いて向かってしまい、ひいひい言いながら到着するも、会場の中には入れず、特に何もない。チケット売り場でも、入場できるのは始まってからだとも言われる。そのときカーリングのチケットでも買っておけば、1つは競技が見れたのに。
その後、平昌五輪、開会式の会場に向かう。
いろいろとぐるぐるまわるも、こちらもまたほとんど何もない。
とにかく寒さが異常であった。そして、シャトルバスも見当たらない、ボランティアスタッフもいないでさんざんな状況。
戻って、北朝鮮の楽団が演奏を行う会場で、つきっきりで取材。
五輪用のではなく、自分のプレスパスでくぐり抜けられた。とてもラッキー。
だから、取材ができた。といっても、あまり必要なかったかも?
初日に、メモ上げしないと、どうしても雑誌の入稿に間に合わなかったので、
相当動き回って、探し回った。
なんとか無事記事になったけど、いまいちだった気もする・・・。
うーん、難しいなあ。取材内容を探すの。
カンボジアを思い出した。いざ現地にいってはみるものの、別に選手のインタビューなんてしないから、とにかくネタを見つけるために、探すしかない。
そしてネタが見つからなくて、どこにいこう、なにをしようとなる。
カンボジアはあつすぎて、外出れない、平昌は、寒すぎて、外出れない。
SNSで、現地の人に聞いて、とかでなんとかなった。
特に今回は友人の韓国人には、本当に取材で助けられた。感謝。
翌日は、夜、開会式があったので、日中はゆっくり。
にぎわっていたカフェにいて、午後から、平昌へ。
あまりの寒さに、開会式途中で江陵へ帰宅。チケットもなかったし。
8万円だったし。
翌日、10日、ようやく会場内へ。2000ウォンで午前中に入り、午後もう一度買おうとしたら売り切れ。安倍首相とかもきていたから非常に残念。
午前会場に入ったあと、いろいろとシャトルバスで、メディアセンターや、市場をまわった。市場は庶民の生活を感じていいね。
アートセンターのチケットももらったが、結局いかなかった。
で、帰った。
11日、起きてからまずはカフェに。めっちゃ歩いた。ビーチ見ながら。
そこでメモをまとめたあと、午後、会場のチケット買おうと思ったら14時の時点でまたも売り切れ。どうなってんだまじで。お土産かえないのは機会損失すぎる。
困ったので、アートセンターにいった(笑)
そして、意を決して、ソウルに向かう。平昌とは別れを告げた。
ソウルで友人と夜ご飯。
12日、ソウルで慰安婦像やら、その他諸々、国内の中心地をまわった。友人のアテンドで。そのまま空港に向かい、宿泊して、朝帰国。
もう、へっとへと。毎日深夜2時まで起きていろいろしていたし、空港泊はつかれるし、寒いし。
とりあえず、振り返り疲れたので(笑)
もうちょい真面目に書くのは後日にしよう、そうしよう。
今日帰ってきたので、いろいろと後回しになって、現実から逃げ出してる。
疲れたから。疲れたっていい過ぎるから疲れるのか。
そんじゃーね!