田中将介

-tanaka masayuki-

区長選挙の経緯と個人的な怒り

お知らせ

簡単な経緯を話していこう。

前回も書いたが、きっかけは2017年10月の衆院選だった。

そこから、時が経ち、練馬区議・区長関連の情報をもらったのは前回の通り。

改めて、区議は副業もOKで、当選確率も高い。数千票をとれば当選する。しかし、僕の性格上、人と同じ道を通らない、見えない未来にチャレンジすることが好きだ。

決して、昔はそうではなかったのだけれど、何倍にも早くジャンプアップすることができるのは、人と同じ道を通らないことだ、って、新卒でフリーランスのライターになったことで思った。

オリンピック取材に行きたいけど、会社では順番待ちだから、我慢しようという人がいっぱいいるが、僕はもうすでに五輪取材をして、それを雑誌やオンライン記事に書いた。自分で自腹をきっていけば、そんなものすぐ叶った。

こうした成功体験が、今の僕をつくっている。

要するに、区議になることには全く興味がなくて、一番下の学年からこつこつと上にあがっていくことは、果たしてよりよい社会をつくることに遠回りになるのではないかと思っている。皆と同じ道をたどれば、思考回路も似てくるだろう。

常識に染まり、抗うのを諦めていくだろう。

それよりか、全く違うキャリアからの風をふかしたほうがおもしろい。

トランプ大統領の例はあまり良くないかもしれないが、しがらみの多い政治家よりも、全くない、ピュアな人財のほうがいい。

まあそれはおいておいて、私自身、変革を求める人間で、トップダウンで具体的に仕事をしていったほうが面白いと思う。

で、区議で当選するよりも、区長選挙に出て、失敗したほうが今後の人生を考えたときに、得るものは大きいのではないだろうか。

僕はいつもスタートラインに立てているか、ということが最近のブームだ。

そもそも、記者やインタビュアーが政治家にインタビューをするとき、相手にされていない。池上さんレベルでは別だが。

きっと同じスタートラインにたっていないから。記者の仕事の大変さや重要さは、内部にいたから重々承知しているが、外には理解されていない。当然だ。

となると、政治家は、記者をうまいように使う、ただの道具となる。

つまり、同じスタートラインに経っていない、選挙の辛さも知らない、国会議員の辛さも知らない、そんな人と同等の会話をできるはずがないのだ。

それは、僕が事業家たちと頻繁に付き合ってきたというのもある。

事業を起こしてない人が、イノベーションを語って、事業について、話すことほど空虚なことはない。

それと同じだと思う。

つまり、出馬することというのは、1つのスタートラインなのではないかと思う。

僕は記事を書いてから、作品をつくってからがスタートラインなのに、ただ企画をもっていってこういうのを書きたいんですと持ち込みをしていたことがある。

何を書いてきたかも、何をしてきたかもわからない人間に、対応しているほどひまではない。

そういうわけで、政治の世界に興味がある中で、まずはスタートラインにたたなければいけないのでは、という想いがある。

そして、25歳の今だからこそ、というタイミングがある。

相手は、72歳だ。そして、豊洲、築地、東京都に関わる諸問題の責任の当事者だ。

さらには僕がフリーランス。

しがらみはほとんどない。きっと時が経つにつれてさらに身動きがとれなくなる気がする。

全てが文句を言う人ばかりで、どんどん人権や正義を振りかざし、対話が必要と言いながら、決して対話をしない人たち。

そもそも「対話」という耳障りの良い言葉で、なんとなく問題から目を背けたり、その対話は物事を変えていくために本当に必要なのだろうか。団体を存続させるためのイベントにあふれているのではないか。そんなことをよく思っていた。

対話や市民運動が社会にとって不可欠なのはすごくよくわかる。だから、大いに盛り上がって欲しいし、そういった活動が、たくさんの人の背中を後押ししているのもわかる。では自分がどちら側の立場に立ちたいかを考えたとき、僕は、実際にその問題と、胃をきりきりさせながら、ただの議論や対話で終わらせるのではなく、きちんと自分の手で足で耳で得たものを、具体的に形にしたいと思っている。

どんな政治家だって、耳を傾けているわけで。

ここが一番強い怒りで、そんなに文句ばかり言うのであれば、

実際に自分が政治家になってやってみればいいじゃないかと。

なぜ出ない?その理由は、自分を守るための言い訳になっていないか?

タイミングを考えているというのは決して言い訳ではないのか?

政治をわかりやすく伝えて何のためになるのだ。

本当に政治を伝えるのなら、自分の出馬経験を伝えたほうが面白いと思う。

あとは、「かっこいい大人」に影響を強く受けている。

何度も実際に行動して失敗していくかっこいい大人たちの姿を、SNSや記事、インタビューを通じて、触れるようになった。

その一方で、僕は、「ださい大人」も感じるようになった。

そもそも、僕は、ジャーナリズムやら、書いたり、伝えたり、ということに、もちろん普通の人以上に強い興味もあるけれど、それ自体が核になっているのではなく、そうした武器を携えて、どう社会を創っていけるかということに興味がある。

正直、いくら記事が読まれても、特に社会は動かず、情報として消費されていく一方だ。全ては消費物だとは思うけれど、書いて満足することはない。

政治家の姿はかっこよかった。

どれだけ、空虚な、理解不能な批判にさらされても、足を動かし続け、具体的な政策に落とし込んでいく。あーしろこーしろで、実際には責任をとらない人より、実際に責任をもちながら、議論を進めていくほうがいい。

そういったプレッシャーの中で感じるぎりぎりを生きる姿を純粋に応援していた。

こうしたかっこいい大人たちのチャレンジを見てきたことによって、影響を受けていると思う点を もう1つ。

どんなに有名な人でも、成功の前には何度も失敗しているということ。

が大前提として、

僕は都知事選挙のお手伝いをしたときに、

「選挙に出る」ことは全然リスクじゃないんだということ。

全ての人生をかけて出るというほど、意外と大きなものではない。

少なからず、失うものもあるが、得るものも大きいというのも知っている。

選挙に出たからって、これまでの仕事ががらりと変わるかというとそうでもない。

出馬前後であまり大きな変化はないのでは?さらには、何度も何度も出馬することで、ようやく掴み取れるものなのでは?と思う。

実際に出馬した人は、そう言っている。

そんな人を間近で見たので、意外にもハードルは低い。

政治に浸かっている人ほど、負け戦だから絶対にやめろという。

別に負けることに恐れはない。負けるのなんて自明だ。

でもその0.00001%くらいの、ひっくりかえるチャンスを掴むためには、

まずはスタートラインにたたないとはじまらない。

僕は、働きたくても、働くスタートラインに立てなかったことがある。

就職活動を2年ほどやったが、どこからも内定をもらえなかった。

だから、職を持たず、大学を卒業し、フリーターになった。

かといって、とりあえずバイトを始めようかという気持ちにもならなかった。

働くスタートラインにも立てなくて、毎日が憂鬱で、社会と切り離されていて、別に死んでも悲しむのは周りの人だけだと思うこともあった。社会に何の影響はないと。

別に死にたいとは思わなかったけど。

それなのに、今回は、自分の意志でスタートラインにたてる。

なんと幸せなことだろう。

あとは、自分の恥ずかしさと恐怖を捨てられるか。

この記事をシェアする