田中将介

-tanaka masayuki-

Facebookに自分の記事をアピールすることについて

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毎回載せるのはいちおう自慢して、アピールのために書いているわけだけど、なんかせっかく相当の時間を費やしているから、読んでほしいけど読んでもらわなくても、自分の成果を発表することで、自分がホッとしたい、安心させたいという意味がある。

 

別にアピールしたくないけど、見せているつもりはないけど結果的には見せているので、自分の発信が、誰かしらを苦しめるということは、非常に敏感に感じている。なぜならば、それはまさに自分が通ってきた苦しんできた道であるわけで。

先日書いた記事が、1週間で1000万PVを超えた。たしかによく読まれることは嬉しくないといえば嘘になるが、じゃあこの世の中のためになるようなものだったかといえば、そうではないと思っている。むしろ自分が嫌いなタイプの記事だ。でも、僕はやった。なぜなら、自分が伝えたい記事を書くために、今の自分の実力では、そのプロセスとしてどうしても通らなければいけない道だったから。その反響は個人的な攻撃となり、毎日毎日くっつき虫が現れる。そのSNSを思い切りアンインストールしたくなったがやめた。基本的に、通知がくるのはわずらわしくてたまらない。

 

とはいうものの、どうしても伝えたいことがある、というのは後付けだ。
特段、書くことは好きか嫌いかと言われれば好きというレベルだし、死んでも伝えたいことがあるかと言われればまだ自分の場数や経験が足りていない。でもあるかないかで言われれば間違いなくある。
書いたり作ったり撮ったり編集したりというのは、単なる自分の武器にしかすぎなくて、たまたま今その道を歩んでいただけで、一生書き続けたいとかそんなのは億劫でしかない。

何が好きかと言われれば、そりゃたくさん好きなことはあるけれど、その時々で変わるし、説得するためだけのうわっつらな言葉を持ちたいわけでもなくて、その道がずれているとか間違っていると思われようがそんなのどうでもいい、と踏み切れるほど、そんなに強くない。

ただ1つ言えることは、昔かっこいいと思っていた人はどんどんダサいと思うようになったり、またその逆もある。
西野さんインタビューで思ったけど、かっこいい人に憧れて、その人を目指していきたいし。

そういうわけで、別にジャーナリズムがどうとか、人権を振りかざす必要なんてなくて、自分ができることに固執する必要もなくて、思い切りめちゃくちゃなことをやってみて、その人がダサいと思えばその道を目指す人は増えないし、ダサいなと思えば、その時点では会いたいとは思わないし、結局そうやって全てがなんとなくで、人間関係も仕事も決まっていくものだと思うので、別になんでもいいや、どうでもいいや、というスタンスで、人生生きれたらなと思う。

 

まあ死にたいと思たら死ねばいいわけだし。他の人にはそう強要はしないけど。諦めて恥ずかしさを隠して何かにすがりついてごまかそうとしながら正義を押し付けるのはさすがにもうださい。

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