田中将介

-tanaka masayuki-

「さようなら民主主義」独裁のフン・セン政権 弾圧の全貌〜PKO派遣から25年 今カンボジアでいったい何が起きているのか〜

カンボジア

目次

プロローグ  

第一章  民主主義の死

第二章 ジャーナリズムの死

第三章  クメールルージュのかけら

第四章 ファッションの生産地 下請け工場のからくり

 

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【【【 】】】

プロローグ 

 

 2018年7月29日―

 

「民主主義が死んだ日」

カンボジアの歴史に、また一つ、負の遺産が加わった。

 

5年に1度行われる国民総選挙において、全125議席を与党・人民党が獲得した。

一党独裁体制に磨きがかかった瞬間であった。

日本だけでなく、海外のメディアが一斉にカンボジアの選挙結果を報じたものの、その多くは批判的なものであった。

 

「この怒りをどこにぶつけたらいいの」

「カンボジアがなくなっちゃうよ」

カンボジア人の悲痛な叫び声が、カンボジアの大地から聞こえてきた。

徐々に築かれてきた30年間に及ぶ民主主義はあっけなく崩れ去った。いや、その芽は、何度も姿を現していたのだった。しかし、静かにしのびよっていた。

 クメール・ルージュと言われるポル・ポト政権が崩壊してからまもなく40年が経とうとしている。現政権トップ、フン・セン首相の支配は33年目を迎える。

 

岸信介元総理がカンボジアを訪問してから60年、日本のカンボジアPKO派遣から25年。あの頃、一国を再生しようと奮闘した人間たちがいた。そして、命を落とした日本人がいた。あの頃の彼らは、この国の未来を想像できただろうか。何のために、彼らは異国の地で血を流したのだろうか。そう思うと、胸が苦しくなった。

 

意外にも、日本人のカンボジアの記憶は、昔のままだ。

世界遺産であるアンコールワットを目的に、カンボジアを貧しく、かわいそうな国と捉え、その文化を享受しにいく。

「インターネットなんてないでしょ?」

「地雷埋まっているんでしょ?」

こうした声も平気で聞こえてくる。

今や、カンボジアは、発展途上国とはいえ、WiFiははるかに日本より先進国だし、街中には高級車が走り回るほど富裕層も多い。

1992年・PKO派遣の年に私は生まれた。同世代にこの歴史を知る人は多くない。私は、カンボジアの歴史、そして「今」を伝えなければならないと思った。

日本ではPKOやポル・ポト大虐殺が長期間にわたって検証されているものの、カンボジアの「今」が切り取られた情報が上がってくることはほとんどない。事実のみ、ニュースとなって消費されていくだけである。

 

何十年にも及ぶ一部権力者の横暴に、気が付くのは、あまりに遅すぎた。

過去、何十年にわたって最大限の支援をしてきた日本は、今後、この国とどう対峙していくのだろうか。

「学校を建てる」

「井戸を掘る」

「孤児院をつくる」

日本の多大な支援が、一部の富を膨大化させていく。

私たちは誰のために支援をしているのだろうか。本当に必要な人に、必要な支援はいったい届いているのだろうか。

今、まさに考え直すべき時がきたのである。

「いつまでも、カンボジアをかわいそうな国と思うなよ」

全ての支援は一部の人間の富のためといっても過言ではない。

 

人々の欲望と思惑が入り乱れるこの複雑な社会の縮図ともいえる国を舞台に、出会った人々の複雑な心のひだを残したかった。

「大好きなこの国の人々が悲しむ顔を見たくない。もっと一緒に笑っていたい」

その一心でカンボジアに通い続けた記録である。

大量虐殺時代を乗り越えたこの国に、再び、国亡ぶ危機が訪れようとしている。

 

 

 

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