フリーランスでいることは疲れる 孤独と馴れ合いのバランスをとらないと死も考える
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フリーランスや複業、自分自身の意志で、自由な働き方ができる時代。
そういった人たちに憧れている人がいる一方で、
会社の人間関係だったりで、なかなか会社の外に踏み出せない人も多いかと思います。
けれど、この記事にあるように、少しきれいにまとまりすぎている感はありますが、
フリーランスという働き方には、数多くの種類があると思っています。
何をもってフリーランスなのか、何がしたくてフリーランスがいいのか、
何度も何度も考えるべきだと思っています。
なぜ、そう思ったのか、私自身の体験を踏み台にして話してみたいと思います。
私は、大学を卒業してから、どこかの会社に所属するという選択肢はとりませんでした。かといって、在学中は様々な会社や組織で、正社員の方よりも働いた?働かされた?記憶もあります。
なので、「会社のことも知らずにお前は・・・!」みたいな批判は、無意味だと思って下さいw
では、ここまでやってきて率直な感想は・・・?
もちろん本気で行動に移したわけではありませんが、
何度も何度も「自分がいなくても社会は動いている」と、突きつけられた感覚に陥りました。
私なんかがこの世に存在しなくても、世の中何も困らないなあ、と。
毎日、1人でカフェや家にこもって、対して成果にもならない、価値があるのかもわからないことと向き合って、誰とも話さず、1日が終わっていく。
お金がないので、家でパックのご飯とキムチ、納豆を1日2食食べて終わり。
その味にも飽きてきた。
今まで、友人との誘いを自分のやりたいこと優先で断ってきたわけか、
特に、ご飯に誘ってくれる友人もいない。
プロサッカー選手の本田圭佑氏が、先日ツイッターで話題になった自身の発言について、その真意を長文で語っています。その中で、
メッセージとして伝えたかったのは「死なないでほしい」、「生きていればいつか良いことがある」、「良しとする基準は自分が作ればいい」、「出来ることを見つけて少しずつ進んでほしい」ということなんです。
すごく言っていること、わかります。
実は僕の親友が3回も自殺を考えて川までいって踏み止まったという過去を持っていて、その親友曰く自殺する多くの要因として「人に必要とされなくなったと『思った』とき」だと話してくれました。僕は彼に万が一、また同じような考えになったら「少なくとも俺は必要にしてるというのを必ず思い出してくれ」と伝えました。
けれど、この親友の方が言うように、必要とされなくなったと思ったとき、
「死なないでほしい」などと言われでも、正直実感がわかないのだと思います。
なぜ、私はそこまで落ち込んでいたのか。
ここでフリーランスを自分の体験を基に細分化してみたいと思います。
会社に属していなければ、フリーランスってことでいいですかね。
すると、どうやってお金を稼いでいくのか。
アルバイトを掛け持ちも立派なフリーランスかもしれません。
クラウドソーシングで、フリーでライターをやれば、フリーランスです。
一つの会社にほぼどっぷり浸かって仕事をしていても、フリーランスの人もいます。
週刊誌や雑誌で働く人は、こういう人が多いです。
フリーで、その雑誌と契約しているなど。
けれど、別にどっぷり浸かるのであれば、会社に入ればいいと思うんです。
僕はフリーランスとして、実績をつくって、信頼を積み重ねるために、
時間に余裕をつくって、過ごしています。
別に仕事があるアピールをしているわけではありませんが、
私一人が生活していけるレベルであれば、いくらでもフリーランスでやっていけます。
それでも私は仕事を選別しています。
そして、お金を稼げるけれども、
本当に自分の労働時間を売っているだけの仕事ではないか?
ということを本気で考え抜いて選びます。
それは、見える形としての成果でもいいし、無報酬であっても人間関係の信頼獲得といった意味で必要であれば、その仕事をします。
だからなのか、けれどなのかわかりませんが、
社会の一員として認められていない気もします。
どこかに顔を出して、そこで認められている感覚を味わえる。例え、それが自分の労働時間を売っていたとしても。
コンビニのアルバイトだって、社会から必要とされているわけです。
けれど、労働時間を売っているわけです。
村田沙耶香さんの芥川賞受賞作、「コンビニ人間 」は、そのことについてありありと描かれていて、めちゃくちゃ面白いです。