田中将介

-tanaka masayuki-

「さようなら民主主義」独裁のフン・セン政権弾圧の全貌 第二章:ジャーナリスムの死

カンボジア

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「さようなら民主主義」独裁のフン・セン政権 弾圧の全貌〜PKO派遣から25年 今カンボジアでいったい何が起きているのか〜

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「さようなら民主主義」独裁のフン・セン政権弾圧の全貌 第一章:民主主義の死

 

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第二章:ジャーナリスムの死

カンボジア・デイリー総責任者のデボラ・クリッシャー氏は、こう言葉を絞り出した。

「信じられない。そんなことあるわけがない。悔しくて仕方がない」

 

2017年9月、肌寒くなってきた季節の変わり目、雨の降る中、渋谷のダイニングキッチンで待ち合わせたのは、デボラ・クリッシャー氏である。

これまでカンボジアで情報を得るために重宝してきた英字紙・カンボジア・デイリー氏の責任者である。

その数週間前の起きた真相を聞くために私は彼女に会いたい旨を伝え、実現することになった。

 

 事の発端は2017年9月4日である。カンボジアの英字紙「カンボジア・デイリー」が24年間の歴史に幕を閉じることになった。いや、正確に言えば、幕を閉じざるを得ないことであった。これまでの取材に何度も登場し、私自身多くの学びを得ていた新聞社の閉鎖は、ショックを隠しきれなかった。

 

カンボジアデイリーを一度も街で見かけることはなくなった。

「デイリーは本当にないの?」と、露店で尋ねても、首は縦にしかふられない。

デイリーは静かにこの世を去った。

 

いったいなぜ、閉鎖に追い込まれてしまったのか。突如、政府から約7億円の税の支払い命令を受けたのである。

「All the News without Fear or Favor」

恐れず、公平な報道を掲げ、

1993年、ニューズウィーク東京支局長を務めたアメリカ人ジャーナリスト、バーナード・クリッシャー氏によって創刊されたカンボジア・デイリー、最後の一面を飾ることになったのは、ケム・ソカ氏だった。

Descent into outright dictatorship.

(完全なる独裁政権に堕ちた)

こうケム・ソカ氏の逮捕を報じた紙面が最後となった。

 そのバーナード氏の娘が、デボラ・クリッシャー氏、現在のカンボジア・デイリーの責任者である。現在、両親の介護のため、カンボジアを離れ、東京で暮らしているクリッシャー氏に、事件直後の真相を聞いた。

 

ー多額の納税要求をされ、事実上の倒産を強いられてから約一ヶ月、どのような状況でしたか。

 

1997年、フン・セン首相のクーデターにより内戦が起きたのですが、正直、今の状況は、私が25年間カンボジアに関わってきた中でそのときよりも危険で、1番大変なときだと感じています。

 

主人は現在、カンボジアから出ることができなくなってしまいました。税金を払うまでカンボジアから出国させないと政府は通告しています。もし出ようとしたら逮捕されてしまいます。まさに人質ですね。とても心配しています。ただ、主人は、「何も悪いことはしていないのだから大丈夫。私は逮捕されても構わない」と言っています。

同じく、私と、私の父も、カンボジアに行けば、もう国から出ることはできないと通告されています。

現在、弁護士がカンボジアの税務署の人たちと会っています。けれど、おかしな話ですよ。主人は給料を貰わずボランティアでやっているんですから。家もなく、オフィスで寝泊まりしています。カンボジア・デイリーだって、利益はほとんど出ていないですよ。

また、現在、私たちのWEBサイトは政府からブロックされてしまったので、サイトが見れないようになっています。違う方法を使って、今はなんとか見れるようにしました。メディアライセンスももちろん剥奪されています。

 

 

ー会社で働いていたスタッフは?

 

仕事がなくなってしまったので、誰か雇ってくださいと呼びかけています。皆、才能はあるから、雇用先はあるはずです。

彼らは最後まで頑張ってくれたので退職金をきちんと出しました。見捨てられないですから。

 

 

ー最初は新聞の報道で、会社が潰れると知ったんですよね?

 

はい、フレッシュニュースという政府系の新聞が「カンボジア・デイリーに税金7億円」と報じたことで、「え?」となりました。

 

そんな大金なんて払えませんし、嘘ですよ。普通、監査がありますよね。しかも、利益がありませんでしたから。どうして?という感じでした。偉い人がお金を懐にいれるために、税金が通常より多くとられるのはカンボジアでは普通ですが、そもそも利益がほとんどありませんでしたから、税金はかかるはずありません。

 

最初は真剣に思っていませんでした。そんな金額ではないと返事をしたら、「9月4日に払いなさい」とだけしか来ませんでした。

ニュースに出ると、広告主は「新聞が潰れるから」と広告を全てストップしました。私たちは政府からの通告は無視したかったけれど、広告主からお金が入ってこなくなってしまいました。スタッフへの給料も払えませんから、必然的に続けることができなくなりました。

 

一ヶ月間、新聞を発行するには約700万円必要なのに、150万円しかありませんでした。

私は、ずっと自分の貯金をカンボジアに送り続けていましたし、カンボジア人スタッフは、よく頑張ってくれたので、退職金も出しました。

今、もう一つの英字紙・プノンペンポストにも、税務署が入っているみたいです。公にはしていないけれど。

 

 

ーフン・セン首相宛に、手紙を書いたと報道されていましたが。

 

私ではなく、父が送りました。

ここで不思議なことがありました。

ソイソピープさんという方から連絡が来ました。

銀行口座が凍結した日、「あと二時間でお詫びの手紙を書かないと、逮捕されます」と言うんです。それを私が届けます、と。

その方が代わりに書いた手紙は、アシスタントを通じて来たのですが、何を書いていたのかわからなかった。

確か、「カンボジア・デイリーが閉鎖した理由は政治的な理由ではありません。そのように申し上げたことをお許しください。カンボジア・デイリーを続けさせてください」というような文書でした。

 

けれど、もう逮捕は免れないと思い、状況も混乱していたので、書類にサインをしました。全くそんな謝るつもりはありませんが。許さないです。

フン・センさんの息子、フンマニさんと会って、ジョイントベンチャーを立ち上げてやらないかという話もきましたがお断りしました。彼は、「カンボジア・デイリー」というブランドが欲しかったんだろうと思います。父は父で、フンセン首相に手紙を書きました。

 

ーお父さんの反応はどうですか?

 

「フン・センさんは間違っている」と怒っていますよ。医者からストップをかけられているけど、今にも日本を飛び出しそうなくらい。

 

 

ー昔と比べて危機感は強い?

そうですね、内戦のときよりも、フン・セン首相は、国を自由にコントロールできますよね。32年間、着々と力をつけてきたわけですから。政権にとって反対派をなくしていくという今のやり方は、中国の影響ですね。しかし、カンボジアの国民は、自由を知っています。そこが中国と決定的に違うところ。それをまた戻して、締め付けるというのは厳しいです。

中国人は、昔から強い圧力があり、表現の自由がないのは慣れていますけど、カンボジア人は納得しないのではと思いますね。

来年の選挙はそういう手で勝つかもしれないけれど、フン・センさんを支持してくれるかわからないし、嫌われると一人ぼっちになってしまう可能性があります。

 

 

ー国の1番の問題は、国民が絶望していることだと思うのですが。

 

そうです。それによって、優秀で、可能性のあるカンボジア人は、外国にどんどん行っていますよね。勉強もできるし、仕事もできます。

「希望がないからカンボジアでは働きたくない」

そんな人も大勢います。

 

 

ー野党の党首が解雇され、国会議員も逮捕を恐れ、半数以上が国外へ逃亡しました。野党を解党するための法案も可決されました。

 

もうカンボジアの国民は諦めている人も多いでしょう。来年の総選挙に出てこれないですよね。なくなる可能性もあるし。もうどうしようもない。

 

私は、ジャーナリズムが戻れる日がくると信じています。デイリーを復活させたいです。国に報道の自由がないと外国との関係も悪化してしまうから、フン・センさんが政権からおりる前でも戻れる可能性があると信じています。

 

 新聞は発行できないけど、カンボジアの人たちが出した情報を海外で発行するとかFaceBookで発信するとかできたらなと思います。カンボジア国内では逮捕されるからできませんが、カンボジアのニュースを、何が起こっているか、をカンボジア人含め関心を持っている人たちがいます。

 デイリーはカンボジアにいる外交官やカンボジア人のエリートの方々が読んでくださっていました。

 しかし私たちはできないから、誰かがプロジェクトを取り上げてやってもらうことを考えている。責任を持ったジャーナリズムを進めたい。

 

 

ー国際社会からの圧力が必要だと思います。人権理事会にもこのテーマが話題になりました。

 

カンボジアにお金をいれている国に、対応をお願いしたいです。人権問題を尊重すれば、これくらい支援しますよ、というベンチマークをつくらないといけない。日本はただ支援をしている。日本が何も言っていないのががっかりです。

 

ーどういうジャーナリスムをつくりたいですか?

 

公平なジャーナリズムです。意見をいれず、事実を伝える。意見は読者が読んで判断する。それだけは意識していました。与党でも野党でも良いこと、悪いこと、どちらも報道していました。どっちを助けるわけではありません。

ただ、必然的にフン・セン政権を批判しているように思われていたかもしれません。けれど、それは仕方のないことです。

カンボジアには問題がいっぱいあります。全てがフン・センさんのせいにしているわけではありません。しかし、賄賂とか人身売買とか、カンボジアの社会問題を書くと、行き着く先は、「トップの人達がうまくやっていないから」という印象を与えてしまうわけですから。でもその問題を知って、向き合って、どうしていくのか、解決策を考えて、皆で決めていくべきじゃないですか?それが、デモクラシーじゃないですか?

 

 

ーカンボジア最大の問題はどこにあるのでしょう。

 

汚職ですね。

もちろんカンボジアには法律があります。けれど、法律があっても、汚職があれば法律なんてどうにでもできてしまう。お金さえ払えば、何でも許されるわけですから。

シンガポールをみていると、政府で働いている人は、きちんとお給料をもらっているから、お金のために、犯罪を見逃すとかをやらない。汚職があった場合、大きい罰を与えるとか、策を考えないと行けないと思います。

カンボジアでは、政府の人も警察も、そんなに給料をもらってないですよね。じゃあどうして、一部のトップの人たちはすごいマンションや車を持っているの?

税務署の人たちも、国民から税金をもらって、どれだけ懐に入っているかはわかりません。不透明ですから。では、どうしてこういう人たちが30万円のディナーを食べられるの?不動産をもっているの?これは私が直接聞いた話です。

ただ残念なのは、今、世界では大きな問題がたくさんありますよね。北朝鮮の核ミサイル、ロヒンギャ、一方、カンボジアは虐殺があるわけじゃない。報道の自由なんて見向きもされない。

カンボジアのジャーナリズムの可能性はあると思う。そのために、ジャーナリズムがどうあるべきか。権力のチェックができるのは、ジャーナリズムがあるからです。他のメディアはもうこわくて厳しいチェックができていません。

 

 

ポル・ポト政権崩壊後の混乱のさなかからカンボジアのジャーナリズムを創り上げてきた彼女は「最大の心配事」として最後にぼそっとこうもらした。

「カンボジア人の優秀な若い人たちが自国に絶望し、生きる道を海外で探してしまっている」

 

 

 

フン・セン首相と対面

 

 こうした出来事が起きる約1年前、フンセン首相は日本を訪れていた。

その頃、小池百合子都知事が、東京都議会選挙にて新政党「都民ファースト」を立ち上げ、百合子旋風が吹き荒れた結果、都議会は、与党第一党になり、自民党は大敗を喫していた。

 

各国の独裁者と同じように、「フン・セン首相は本当に存在するのか」と巷でささやかれるようなこともある人物と、日本で面会できるチャンスが舞い降りてきたのだ。プノンペンで彼に会ったことは一度もないし、会えるような状況にもない。

 フン・セン首相が講演を行う会場に足を踏み入れることができた。接触する絶好のチャンスだった。多くの人に囲まれながら、フン・セン首相は席についた。私の2つ前の列にフン・セン首相が座っている。あれだけ追いかけていた中心人物がすぐそこに座っていることに胸の高まりは収まらなかった。

フン・セン首相は、約30分の講演のあと、意外にも、スケジュールになかった「質問タイム」を設けたのだ。経済のセミナーであるのは承知だ。さらには、日カンボジアの重鎮が集まり、若い人は見渡す限り誰もいなかった。

それでも、聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥。こんなチャンス二度とない。腹をくくって、手をあげた。質問があたった。

「フン・セン首相、お誕生日おめでとうございます。田中と言います。昔カンボジアで働いていました。

フン・セン首相は、これまで国をつくってきました。カンボジアの友人からは強いリーダーとも聞いています。しかし、これからよりよい国造りを進めていくためには、来年の総選挙で勝つ必要があります。そのために、現在考えられている秘策などはありますか」

 

経済セミナーで、しかも日本とカンボジアの親交を深める柔らかな会で、政治のシビアなことを聞いた。自己紹介最中に、すぐ目の前にいたフン・セン首相は振り返って私の顔をじっと見ていた。通訳を通してその質問が会場に届くと、会場から笑いが起きた。何の笑いかわからないが、私には、「こんな質問が出るのかー(笑)」といった反応だったに違いない。会が終わったあと、知り合いの友人に、「なんで政治のこと聞いてんのよ、まったく」と怒られてしまった。

8月5日が誕生日プレゼントとして、安倍首相からゴルフクラブをもらったフン・セン首相は、笑いながら壇上に上がり、きちんと質問に答えてくれた。

「もう選挙の勝ち負けではないのです。私たち人民党が勝つか負けるかではないのです。国の平和のために考えたいんです。ここまでカンボジアという国を、壊すことなく政治活動を行ってきました。今度どんな政権になろうとも国の力を落としてはいけないのです。昔は本当に国が混乱していました。野党も選挙に負けたことを不満にデモを起こすべきではないのです。今の野党の特徴は、議席をもらい、給料をもらっているのに、与党の議席を認めない、これではいけません、きちんと受け入れなければいけない。日本は平和で発展したのです。私たちも1つひとつの積み重ね、政府として確立していきたいと考えています。そのために、選挙の勝ち負けではないと信じています」。

 

それにしてもフン・セン首相の回答、現地の新聞で報道されていることと思い切り矛盾している。「次の総選挙で人民党が負けても、どんな手段を使ってでも、戦争になっても政権は私たちのものになる」という報道が出ていたから。

今年で66歳となるフン・セン首相は、あと10年は首相を続投する意向を昨年9月に表明している。一方で、自身の後継者について「CPPの子ども」から選ぶとも発言している。

 

 

国際社会から批判を浴びたカンボジア情勢は、国連人権理事会にも議題に取り上げられた。

2017年9月、スイスのジュネーブで日本が議長国として開かれた人権理事会で話し合われたことについて、日本の外務大臣である河野太郎氏は自身のブログにおいて「日本外交の小さな勝利」というタイトルで、外交の様子をこうブログに発表していた。

 

 

9月29日、ジュネーブで日本外交がまた一つ、小さな、しかし、明るい光をともしました。

ジュネーブで開催中の国連人連理事会で、日本はカンボジアの人権状況を改善させるために、対立する欧米諸国とカンボジアの間を調整し、カンボジアも参加した決議案をコンセンサスで採択させました。

日本は、カンボジアにおける人権状況を懸念し、カンボジア政府自身による人権状況改善の取り組みを促すために、国連とカンボジア政府が協力し、来年3月に国連から書面で人権状況の改善について報告させるという決議案を人権理事会に提出しました。

アメリカは、来年7月に予定されているカンボジア国政選挙を前に、カンボジア国内の人権状況が懸念されると、来年3月の人権理事会において国連による口頭の報告とインタラクティブダイアローグを実施すべきと主張し、これらを追加する修正案を提出しました。

これに対してカンボジアは非常に強く反発し、この決議修正案が採択された場合には、決議から離脱すると表明しました。

アメリカ案には英国、スイス、ドイツ、オランダなどヨーロッパ諸国が賛成したものの賛成は12か国にとどまり、日本などアジア、アフリカ、中南米20か国が反対し、サウジアラビア、韓国、ブラジルなど15か国が棄権し、否決されました。

その後、日本提案が無投票で欧米諸国もカンボジアも含めたコンセンサス採択されました。

例年の決議案と比べるとカンボジアの人権状況への懸念を明記し、カンボジア政府からの人権状況を報告させるなどの譲歩引き出しながら、カンボジア政府を決議の中にとどまらせることにも成功しました。

決議に際し、修正案に賛成したアメリカ、EU、スイスからも、日本の調整努力に感謝するとの発言があり、当事国カンボジアからは日本の調整努力への感謝を示したうえで、人権や民主主義にコミットしていくとの発言がありました。

これからも、日本は、アジア、アフリカ、中南米の人権や民主主義の前進に向けて努力する一方、欧米とそれらの国々との対立をやわらげる独自の視点での外交を進めていきます。

 

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