スラム(ごみ山)の本質(一例)
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今まで見てきたあらゆるもの。
そこにはさらに深い話があって、知らないことはいっぱい出てくる。
知れば知るほど分からなくなる。
例えば、
たくさんの人は「スラム」というものを普通に見てきたと思う。
まあ少なくとも僕は、うわあ、すごいなあ、ごみやまかあ。
みたいな感覚で見ていた気がする。
プノンペンにあるスラムでは、
政府が強制退去を銘じ、火をつかうなどし、スラムの移動をしたという。
ゴミを拾うという仕事がなくなってしまった人々はどうなったのか。
なんと交通費を払ってまでそのゴミ山に通い、ゴミを拾いにいく。
それだけでも正直信じられない概念である。
人にも場所にもさまざまなバックグラウンドがあって、衝撃を受ける。
ただただ衝撃を受けるだけの自分もいやだけど。
普段仕事をしているシェムリアップから首都プノンペンまで、夜行バスで簡単に行ける。
普段プノンペンでフォトジャーナリストとして働いている高橋さんという僕が大好きな方に再会することができた。
そのときにいろんなところに連れて行ってもらった。嬉しかったなあ。
話していたことを簡単に。
・スラムで生きていた人々
カンボジアでは勝手にスラムが移動させられたことがあった。
ゴミを拾うことで生計を立てている人の仕事がなくなった。
彼らはなんと、交通費を払ってまでごみを拾いにいったのだ。
スラムをなくす活動、ボランティアとしてよく行われている。
その人たちのためにやった行動が、逆に迷惑となってしまうときがあるのが、本当に活動の難しいと得ろだと思う。
ただ一方的に悪いというわけではない。しっかりと現地と対話することの大切さを感じた。
需要と供給。しっかりとニーズを見極めることが大切なのだ。
高橋さんにとって、カンボジアという国を「好き」という一言なんて言えないという。
そこにはたくさんの歴史があって、たくさんの背景があって、そんなこと失礼すぎて言えないのだという。たくさんの闇もある。
絶望の瞳にピントを合わせるとも言っていた。
話は少しそれるが、カンボジアにはとんでもない歴史があった。
大量虐殺。そんな場所をたくさんのひとが訪れている。キリングフィールド。
そのときのメモと、そのときのやりきれない思いを高橋さんにぶつけてみた。
本当に本当に辛くなって、本当に本当に整理が着かなくなった。
そのときに、なんのために、歴史を知るの。なんで?なんで?ねえ。
知ったからどうなるの。ねえ。
という感情になったのを覚えている。
知り合いに相談したところ、その人の歴史の先生も、俺ですら、わからないといっていた。
あら。ってなった。
それを高橋さんにぶつけた。
歴史が世界の全ての問題の解決のヒントになっている。
全て、過去に起きた問題はつながっているんだよ。世界中で。
歴史を知ることからしか始まらない。
と。
よく日本史で、流れを知れと言われ続けたのを思い出した。
まさにそうなんだよね。
全ては人間の感情が引き起こしているものなのだから。
キリングフィールドでは、一人一人解説を聞きながら回る。
そのときのメモ。
志がなければ生きる意味がわからなくなってしまう。
この一言は忘れない。
だいぶショートカットしてわからないと思うけど。笑
僕はぜひ行ってもらいたい。行って感じてほしい。まずは足を運んでください。
高橋さんと最後に話したこと。彼が願っていること。
決して強制じゃない。
彼らの生き方の新たなチャンスを増やす。
伝えるという使命があるから、もう怖くないんだ。
そして、一言に心の底からの想いを込めている。
そんな姿が一番僕の心に響いた。