「記者会見」に参加することで忙しいふりをすることの無意味さ
ライフスタイル

忙しいという事実は、いくつか細分化することができると思っている。
本当に前に進むため、何かを得るために一つ一つの予定がある人、
とりあえず何でもよいから予定がある人など。
予定が少しでも入っていると、なんとなく充実した気分になる。
結局、予定なんて、自分の気持ちを納得させるためのものとなってしまう。
自己満足で良いなら良い。しかし本当に実現したいことがあるのであれば、
自分の行動が本当に意味のあるものなのか、自己満足によって大切なことを見失っていないか。改めて忘れないようにしたい。
まあ、予定なさすぎて、ひますぎたら、本末転倒なんだけどね。笑
例えば、僕の場合、「記者会見」に行くことに意味がないと思っている。
記者会見に行くことが好きではない。
誰でもできる。皆同じ情報だ。価値なんてない。
「忙しい」ふりをしている。
「仕事している」ふりをしている。
いや、それが仕事なのかもしれないけど。
それが仕事でいいのかと思う。
少し、社会の最先端にいる気分になる。
いつも顔を合わせる人同士の再会を楽しむ。
それでいいならいい。実はその気持ち、わかる。楽しい。わくわくする。
けれど、あとになってみれば、何の価値もうんでいない。
忘れたくない。気がつかないうちに当たり前になって終わりそうなこと。
確かに、会見で知り合いがいたときの嬉しさというものはあるんだけれど・・・。
そこで新たに人脈につながることは大事だけれど・・・。
というジレンマもありますよもちろん。